++Diary++
その時その時嵌まっているゲーム、アニメ、漫画語りや、日常のグダグダをたらりたらり、もたりもたりと。
暗い話なのでワンクッション。
祖父が、亡くなりました。
祖父が、亡くなりました。
よっちゃんの時と同じ、末期癌でした。
7月3日に亡くなり、7月10日、11日と、通夜、告別式でした。
ずっと仕事だなんだでバタバタしていて、なるべく考えないようにしていたのですが、
漸く今、ボーっと引き出しを開けてぼんやり眺められる、感じです。
ずっと小康状態を保っていたのですが、ここ1か月の酷暑でか、ぐっと体調が悪くなり。
私が最後に会ったのは7月2日。ベッドに横になりながら、それでも話をして。
物心ついたころからいつもしていたバイバイの握手も、カサカサの、力強い手でした。
手の乾燥がひどいから、またハンドクリームを塗ってほしい、と言われました。
今塗る?と聞いたら、今度で良いといわれたので、じゃあ、明日また来て、その時塗ったげるよ、と言い、帰りました。
以前祖父にあげたハンドクリームを探して塗るのも良いし、最近買った、ラベンダーの匂いのするハンドクリームでも良いな。おじいちゃんラベンダー好きかなぁと思っていました。
断られても、あの時塗ればよかった。もっとじいちゃんの手に触れていればよかった。
翌日。19時過ぎ頃だと思います。仕事から帰って一息ついていたら、従姉が私の家に車を停めに来て。
祖父の容態が急変して、救急車を祖父母の家に呼んだから、様子を見に来ていた自分の車は邪魔になるから置かせてくれと。
折り悪くお腹を壊していた私はオロオロとその後姿を見送り、その後ややあって事情を知った母が車で来て、一緒に病院へ。
病院に着いた頃は意識は無かったものの、腕や足が動いていたのに。
段々と、動かなくなって。
呼吸も少なくなって。
夜の23時過ぎに、親族一同が側に居る中、息を引き取りました。
89歳の大往生でした。
心のどこかで覚悟もしていました。
それでも、命の火が消えゆく時、冷たくなってしまった時、骨になってしまった時は、本当に辛い。
話しが逸脱してしまいますが。
俯瞰してみていると、人は何処までも孤独です。
どんなに、何人も、大切な人が側に居ても。
最期は、一人です。
誰かが側に居ても、独りで痛みと闘って、独りで死んでいかなければならない。
人の根底にあるのは孤独です。
だから、せめて生きている間は、誰かと寄り添っていたい。
そう思う物なのかもしれません。
逸脱終わり。
無口で、お茶目なおじいちゃんでした。
笑う時は照れくさそうにしていました。
お金にがめつい人でした。
花が大好きで、畑にはいつも何かしら花が咲いていました。
お酒を飲むと饒舌になって。
嘘か本当か知る術はもうないけれど、
酔うとよく、孫の中でミカヤが一番可愛い、とはにかみながら言ってくれました。
優劣を決めるのは愚かだと知りながら、私はその誉め言葉が、嬉しかったです。
私の家の事も、除草剤を撒いたり、業者を呼んで庭木を剪定してくれたり、
世話をしてくれました。
釣りが好きで、小さい頃は一緒について行って、魚を釣るじいちゃんの側で私は何かをしていました。
いつもキャップ帽を被っていて。
作業ズボンに、白いシャツには泥や汚れが付いていて。
簡単な物なら自分で作れて。
畑に庭に、家の掃除に、鯉の世話に、
ずっとマメに動き回って。
お昼ご飯を食べた後は少し昼寝をして。
また午後も動き回って。
ごつごつした働き者の手をした人でした。
小さい頃、祖父母の家に泊まると、祖父、私、祖母と川の字になって寝るのですが、
寒くて眠れないでいると、
じいちゃんのももったぶ(太もも)に足挟んで寝なー
と言ってくれて、私は足を入れて温かくて、安心して、眠りました。
テレビが意外と好きで、夕方はよく一緒に、相撲や時代劇を見ました。
おみおつけ(味噌汁)と漬物があればご飯が食えると言っていましたが、
ジャムをつけたパンも食べるし、カップラーメンもごくまれに食べるし、ハイカラな物も食べました。
色々美味しそうなお店の物を買って持って行っては、なんでも、
うん、美味いや
と言ってくれました。
じいちゃん
じいちゃん
思い出が沢山だよ。
もっと側に居て欲しかったけれど、
ずっと痛い思いをしているじいちゃんを見るのは辛いから。
もう、これで、良かったんだ。
これから一人で草むしりをする時。
川べりを歩く時。
畑に花が咲いた時。
色々なふとした時に、
私はじいちゃんを思い出したい。
ありがとう。
側に居てくれてありがとう。
握手をしてくれてありがとう。
7月3日に亡くなり、7月10日、11日と、通夜、告別式でした。
ずっと仕事だなんだでバタバタしていて、なるべく考えないようにしていたのですが、
漸く今、ボーっと引き出しを開けてぼんやり眺められる、感じです。
ずっと小康状態を保っていたのですが、ここ1か月の酷暑でか、ぐっと体調が悪くなり。
私が最後に会ったのは7月2日。ベッドに横になりながら、それでも話をして。
物心ついたころからいつもしていたバイバイの握手も、カサカサの、力強い手でした。
手の乾燥がひどいから、またハンドクリームを塗ってほしい、と言われました。
今塗る?と聞いたら、今度で良いといわれたので、じゃあ、明日また来て、その時塗ったげるよ、と言い、帰りました。
以前祖父にあげたハンドクリームを探して塗るのも良いし、最近買った、ラベンダーの匂いのするハンドクリームでも良いな。おじいちゃんラベンダー好きかなぁと思っていました。
断られても、あの時塗ればよかった。もっとじいちゃんの手に触れていればよかった。
翌日。19時過ぎ頃だと思います。仕事から帰って一息ついていたら、従姉が私の家に車を停めに来て。
祖父の容態が急変して、救急車を祖父母の家に呼んだから、様子を見に来ていた自分の車は邪魔になるから置かせてくれと。
折り悪くお腹を壊していた私はオロオロとその後姿を見送り、その後ややあって事情を知った母が車で来て、一緒に病院へ。
病院に着いた頃は意識は無かったものの、腕や足が動いていたのに。
段々と、動かなくなって。
呼吸も少なくなって。
夜の23時過ぎに、親族一同が側に居る中、息を引き取りました。
89歳の大往生でした。
心のどこかで覚悟もしていました。
それでも、命の火が消えゆく時、冷たくなってしまった時、骨になってしまった時は、本当に辛い。
話しが逸脱してしまいますが。
俯瞰してみていると、人は何処までも孤独です。
どんなに、何人も、大切な人が側に居ても。
最期は、一人です。
誰かが側に居ても、独りで痛みと闘って、独りで死んでいかなければならない。
人の根底にあるのは孤独です。
だから、せめて生きている間は、誰かと寄り添っていたい。
そう思う物なのかもしれません。
逸脱終わり。
無口で、お茶目なおじいちゃんでした。
笑う時は照れくさそうにしていました。
お金にがめつい人でした。
花が大好きで、畑にはいつも何かしら花が咲いていました。
お酒を飲むと饒舌になって。
嘘か本当か知る術はもうないけれど、
酔うとよく、孫の中でミカヤが一番可愛い、とはにかみながら言ってくれました。
優劣を決めるのは愚かだと知りながら、私はその誉め言葉が、嬉しかったです。
私の家の事も、除草剤を撒いたり、業者を呼んで庭木を剪定してくれたり、
世話をしてくれました。
釣りが好きで、小さい頃は一緒について行って、魚を釣るじいちゃんの側で私は何かをしていました。
いつもキャップ帽を被っていて。
作業ズボンに、白いシャツには泥や汚れが付いていて。
簡単な物なら自分で作れて。
畑に庭に、家の掃除に、鯉の世話に、
ずっとマメに動き回って。
お昼ご飯を食べた後は少し昼寝をして。
また午後も動き回って。
ごつごつした働き者の手をした人でした。
小さい頃、祖父母の家に泊まると、祖父、私、祖母と川の字になって寝るのですが、
寒くて眠れないでいると、
じいちゃんのももったぶ(太もも)に足挟んで寝なー
と言ってくれて、私は足を入れて温かくて、安心して、眠りました。
テレビが意外と好きで、夕方はよく一緒に、相撲や時代劇を見ました。
おみおつけ(味噌汁)と漬物があればご飯が食えると言っていましたが、
ジャムをつけたパンも食べるし、カップラーメンもごくまれに食べるし、ハイカラな物も食べました。
色々美味しそうなお店の物を買って持って行っては、なんでも、
うん、美味いや
と言ってくれました。
じいちゃん
じいちゃん
思い出が沢山だよ。
もっと側に居て欲しかったけれど、
ずっと痛い思いをしているじいちゃんを見るのは辛いから。
もう、これで、良かったんだ。
これから一人で草むしりをする時。
川べりを歩く時。
畑に花が咲いた時。
色々なふとした時に、
私はじいちゃんを思い出したい。
ありがとう。
側に居てくれてありがとう。
握手をしてくれてありがとう。
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