++Diary++
その時その時嵌まっているゲーム、アニメ、漫画語りや、日常のグダグダをたらりたらり、もたりもたりと。
ずっと、書きたいと思いつつ、時間に追われて書けなかったこと。
バチクソ眠いんですけど、気持ちが落ち着かないので書きます。
悲しい話なのでクソつまんねぇです。
今も。今も。
亡くなってしまった叔父のよっちゃんや
祖父ちゃんを思い出します。
よっちゃんに背丈の似た人を見かけたら、追いかけて、
よっちゃん
って声をかけたくなります。
祖父ちゃんが魚釣りをしていた堀で釣りをしている人を見ると、
今でも祖父ちゃんがどこかで魚を釣っているんじゃないかって、
麦わら帽子を被って、座っているんじゃないかって、
泣きながら辺り一帯を探したくなります。
小さい頃はそんな祖父の周りを私は時には興味深く、時には手持ちぶさたでうろうろしていて。
大きくなってからは、また魚釣ってる、って、思っていたかな。
それがどんなに愛しい日々かも気付かないで。
この間。自転車漕いでいたら。
袢纏の中に小さなお孫さんかな、をおぶって歩いているお婆さんがいて。
あれはお祖母ちゃんと私なの!
お祖母ちゃんと私なの!
って、泣き叫びたくなりました。
祖母も小さな私をおぶって歩いて、
近所の皆から私は、お祖母ちゃんのランドセルちゃんと呼ばれていたそうです。
4月28日に、祖母が亡くなりました。
93歳。大往生です。
元々、少し前から危ないと聞いていて。
覚悟はしていました。
でもやっぱり今でも、泣き叫びたくなるんだなぁ。
祖母について、書き記しておきます。
長いんで、畳みます。
バチクソ眠いんですけど、気持ちが落ち着かないので書きます。
悲しい話なのでクソつまんねぇです。
今も。今も。
亡くなってしまった叔父のよっちゃんや
祖父ちゃんを思い出します。
よっちゃんに背丈の似た人を見かけたら、追いかけて、
よっちゃん
って声をかけたくなります。
祖父ちゃんが魚釣りをしていた堀で釣りをしている人を見ると、
今でも祖父ちゃんがどこかで魚を釣っているんじゃないかって、
麦わら帽子を被って、座っているんじゃないかって、
泣きながら辺り一帯を探したくなります。
小さい頃はそんな祖父の周りを私は時には興味深く、時には手持ちぶさたでうろうろしていて。
大きくなってからは、また魚釣ってる、って、思っていたかな。
それがどんなに愛しい日々かも気付かないで。
この間。自転車漕いでいたら。
袢纏の中に小さなお孫さんかな、をおぶって歩いているお婆さんがいて。
あれはお祖母ちゃんと私なの!
お祖母ちゃんと私なの!
って、泣き叫びたくなりました。
祖母も小さな私をおぶって歩いて、
近所の皆から私は、お祖母ちゃんのランドセルちゃんと呼ばれていたそうです。
4月28日に、祖母が亡くなりました。
93歳。大往生です。
元々、少し前から危ないと聞いていて。
覚悟はしていました。
でもやっぱり今でも、泣き叫びたくなるんだなぁ。
祖母について、書き記しておきます。
長いんで、畳みます。
殺しても死なない人だと思っていました。
祖母ちゃんは、死なない人だと。何の根拠も無く。
祖母に対する私の感情は複雑で。
凄く取り留めの無い文章になると思います。
頭のいい人でした。物凄く。
どんなに歳を取っても、大分記憶が曖昧になってきたと思っても、
時折、こっちがギョッとするほど鋭い視点で物事を見る人でした。
多分世が世なら一角の管理職とかになっていたんじゃないかな。
世が世じゃなかったので、専業主婦でした。
祖父が継母に育てられた関係で満足に小学校にも行けず、字が書けなかったので、
煩雑な書類の作成は全て祖母がやっていました。
祖父が複雑な家庭環境だったから、そこに嫁いだ祖母は、とてつもない苦労をしたそうです。
ですがそれは、私が直接見ていたわけではないので、省略します。
そんな苦労を重ねたからか、祖母はとにかく逞しかった。
小さい頃、私のスカートに蛇が付いていて、慌てた私を尻目に、祖母は蛇を素手でたたき落としたり、
玄関に居たゴキブリを履いてた靴で直に踏み潰して退治してくれたり、
とにかく強かった。
一方で、物凄く気分屋でした。
その日その時の気分で態度が変わる。
そして、愛情の傾け方が人によって違うということを、ある程度の歳になって気づきました。
贔屓をする人でした。
私の母は、祖母に大事にされておらず、叔母の事を祖母はとても可愛がっていました。
その時の母の、諦めたような、寂しそうな顔が私は悲しくて、
母の頭を撫でたりしました。
あと、一番下の、私が嫌いな叔父を猫可愛がりしていて。叔母よりも。
それを見て私は、普通に気持ちわりぃな、と思っていました。
「下に行くほど可愛い(下の子ほど可愛い)」
と、祖母は母に面と向かって言っていたそうで、
一番年上の母は、それは凄く傷ついただろうな、と思います。
孫の私達にも、祖母は贔屓がありました。
私は、可愛がってもらえました。
でも、姉は随分、ぞんざいに扱われていました。
小さい頃はそれに気付かず享受していたけれど、
気付いてからは、歯痒かったです。苦々しかった。
でも、そんな私達より、従姉妹の方がより可愛がられました。
そんな祖母でした。
でも。私にとっての祖母は。
小さい頃。私が酷い我が儘を言うと、母は叱って、例えば、ご飯抜きにされました。
そりゃそうだ、私が悪い。
でも私は拗ねて、泣いて、仏間に逃げ込むんです。
そうすると必ず来てくれるのは、祖母でした。
私がどんなに悪くても、祖母は私の所に来てくれました。
ミカヤちゃん、ご飯食べようねって。
祖母は私に、美味しいものを沢山買ってくれました。
祖母が買ってくれて、初めて食べるその美味しさに衝撃を受けたのが、
セブンのツナマヨおにぎりと
モスバーガーです。
私が美味しいと言うと、いつもそれを買ってきてくれて。
例えば、モスのコーヒーシェイク。
毎日のように買ってくれて。しかも大きなサイズを。
子供だった私は段々飽きてしまって、飲み切れなくて、捨てた時もありました。
今なら当時の私をぶん殴りたい。
そんなにかけがえのない、美味しくて有り難い物は無いんだよ、って。
私のモスバーガー好きは、間違いなく祖母が原因(?)です。
私が体が弱かったから、母は休み切れなくて、しょっちゅう祖父母の家に預けられて。
そんな私をいつも看病してくれたのは、祖母でした。
私が、和室で畳みの目を飛ぶ遊びをして。
祖母はそれに付き合って。
私は子供だから、何度も、何度も、遊ぼうって。
一生懸命付き合ってくれたけど、最後は、祖母ちゃんもう降参、って。
祖母ちゃん。
祖母ちゃん。
思い出すのはそんな、子供の頃の、温かくて優しい、記憶ばかりです。
私が、人の背中に抱き着くのが大好きなのは、
ランドセルちゃんだった頃の、安心した感覚があるからだと、勝手に思っています。
正面から抱き着くのは、苦手です。
きっとこれからも、お婆さんにおぶわれた小さな子を見ると、泣き叫びたくなるのでしょう。
こんなことばかりが、増えていきます。
漸く、吐き出せました。
泣いたら少し、気持ちの整理が出来ました。
祖母ちゃんは、死なない人だと。何の根拠も無く。
祖母に対する私の感情は複雑で。
凄く取り留めの無い文章になると思います。
頭のいい人でした。物凄く。
どんなに歳を取っても、大分記憶が曖昧になってきたと思っても、
時折、こっちがギョッとするほど鋭い視点で物事を見る人でした。
多分世が世なら一角の管理職とかになっていたんじゃないかな。
世が世じゃなかったので、専業主婦でした。
祖父が継母に育てられた関係で満足に小学校にも行けず、字が書けなかったので、
煩雑な書類の作成は全て祖母がやっていました。
祖父が複雑な家庭環境だったから、そこに嫁いだ祖母は、とてつもない苦労をしたそうです。
ですがそれは、私が直接見ていたわけではないので、省略します。
そんな苦労を重ねたからか、祖母はとにかく逞しかった。
小さい頃、私のスカートに蛇が付いていて、慌てた私を尻目に、祖母は蛇を素手でたたき落としたり、
玄関に居たゴキブリを履いてた靴で直に踏み潰して退治してくれたり、
とにかく強かった。
一方で、物凄く気分屋でした。
その日その時の気分で態度が変わる。
そして、愛情の傾け方が人によって違うということを、ある程度の歳になって気づきました。
贔屓をする人でした。
私の母は、祖母に大事にされておらず、叔母の事を祖母はとても可愛がっていました。
その時の母の、諦めたような、寂しそうな顔が私は悲しくて、
母の頭を撫でたりしました。
あと、一番下の、私が嫌いな叔父を猫可愛がりしていて。叔母よりも。
それを見て私は、普通に気持ちわりぃな、と思っていました。
「下に行くほど可愛い(下の子ほど可愛い)」
と、祖母は母に面と向かって言っていたそうで、
一番年上の母は、それは凄く傷ついただろうな、と思います。
孫の私達にも、祖母は贔屓がありました。
私は、可愛がってもらえました。
でも、姉は随分、ぞんざいに扱われていました。
小さい頃はそれに気付かず享受していたけれど、
気付いてからは、歯痒かったです。苦々しかった。
でも、そんな私達より、従姉妹の方がより可愛がられました。
そんな祖母でした。
でも。私にとっての祖母は。
小さい頃。私が酷い我が儘を言うと、母は叱って、例えば、ご飯抜きにされました。
そりゃそうだ、私が悪い。
でも私は拗ねて、泣いて、仏間に逃げ込むんです。
そうすると必ず来てくれるのは、祖母でした。
私がどんなに悪くても、祖母は私の所に来てくれました。
ミカヤちゃん、ご飯食べようねって。
祖母は私に、美味しいものを沢山買ってくれました。
祖母が買ってくれて、初めて食べるその美味しさに衝撃を受けたのが、
セブンのツナマヨおにぎりと
モスバーガーです。
私が美味しいと言うと、いつもそれを買ってきてくれて。
例えば、モスのコーヒーシェイク。
毎日のように買ってくれて。しかも大きなサイズを。
子供だった私は段々飽きてしまって、飲み切れなくて、捨てた時もありました。
今なら当時の私をぶん殴りたい。
そんなにかけがえのない、美味しくて有り難い物は無いんだよ、って。
私のモスバーガー好きは、間違いなく祖母が原因(?)です。
私が体が弱かったから、母は休み切れなくて、しょっちゅう祖父母の家に預けられて。
そんな私をいつも看病してくれたのは、祖母でした。
私が、和室で畳みの目を飛ぶ遊びをして。
祖母はそれに付き合って。
私は子供だから、何度も、何度も、遊ぼうって。
一生懸命付き合ってくれたけど、最後は、祖母ちゃんもう降参、って。
祖母ちゃん。
祖母ちゃん。
思い出すのはそんな、子供の頃の、温かくて優しい、記憶ばかりです。
私が、人の背中に抱き着くのが大好きなのは、
ランドセルちゃんだった頃の、安心した感覚があるからだと、勝手に思っています。
正面から抱き着くのは、苦手です。
きっとこれからも、お婆さんにおぶわれた小さな子を見ると、泣き叫びたくなるのでしょう。
こんなことばかりが、増えていきます。
漸く、吐き出せました。
泣いたら少し、気持ちの整理が出来ました。
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